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期待の新鋭・mol-74が語る「音楽のファストフード化は悲しい」
期待的新鋭・mol-74表示「對音樂的速食化感到悲傷」
mol-74『kanki』
インタビュー・テキスト 金子厚武 撮影:永峰拓也 編集:矢島由佳子

訪談・撰稿 金子厚武 攝影:永峰拓也 編輯:矢島由佳子
2016/08/17


 「自分らがよけりゃ、それでいい」じゃなくて シーン全体のことを考える必要があると思う 
 並非「自己能接受就好」 考量整體畫面是必要的事 

京都発の*3ピースバンド・mol-74(モルカルマイナスナナジュウヨン)の新曲“*%”が素晴らしい。<パッとしないこの世界を変えよう>という歌い出しで始まるこの曲のミュージックビデオでは、大学の教室で突っ伏している生徒たちが、曲と共にクラップを始め、やがて風船で自由に遊びだす。サビでは<二つとない 一つしかない 君にしか見えない、聞こえないもの>と歌われてもいるように、“*%”とはつまり「可能性」をテーマにした歌であり、それはmol-74のフロントマンである武市和希がバンドを始めるきっかけとなったASIAN KUNG-FU GENERATIONが、かつて“*君という花”に込めたメッセージにも通じると言える。
京都出身的*3人樂團・mol-74(molukalumainasunanajuyon)的新歌“*百分比”非常好聽。開頭唱著<改變這個毫無亮點的世界吧>的音樂影像中、趴睡在在大學教室桌面的學生們、開始和著曲子打拍子、最後與氣球自由玩耍。副歌時唱著<獨一無二 絕無僅有 只有你看的見、聽得見的事物>、“*百分比”也就是以「可能性」為主題的歌曲、作為mol-74的領頭人物武市和希開始玩樂團的契機亞洲功夫世代、也可說是曾經放入“*名為你的花朵”所共通的訊息。

改めて紹介すると、mol-74は武市のファルセットを生かしたボーカル、アコギやピアノを用いた幻想的なサウンドスケープがいわゆる邦楽のギターロックとは一線を画すバンドであり、その冷たくも暖かな世界観は北欧のバンドに通じるもの。しかし、“%”を収録した新作『kanki』では、いつになく外向きに開かれた表現へと変化しているのがポイントだ。CINRA.NET初登場となる今回のインタビューでは、武市にこれまでの歩みを振り返ってもらうと共に、現在のシーンに対する彼の目線をストレートに語ってもらった。
重新介紹、mol-74是由以假音活躍的主唱武市、使用空心吉他與鋼琴表現出幻想的聲音風景與日本音樂的吉他搖滾有一線之隔的樂團、那樣既冷又暖的世界觀與北歐的樂團相通。但是、收錄“百分比”的新作品『kanki』、與以往不同轉化為開放的表現是重點。作為CINRA.NET初次登場的本次訪談、武市回首來時路的同時、也直白的表示他對目前畫面所著眼之處。

▌僕、昔はパティシエになりたかったんですよ。
▌我、以前想當個甜點師。


武市くんはいつ頃からミュージシャンを志していたのでしょうか?
武市從何時開始以音樂人為志向?

武市:親が音楽好きで、マドンナとかマイケル・ジャクソン、B'zとかサザンオールスターズをずっと聴いていたので、小さい頃から音楽には親しんでいました。でも僕、昔はパティシエになりたかったんですよ。

雙親喜歡音樂、一直都在聽瑪丹娜與麥可傑克森、B'z與南方之星、從小就與音樂很熟悉。可是我、以前想當個甜點師。

パティシエ? いきなりバンドとはかなり離れた職種が出てきましたね(笑)。
甜點師? 突然出現與樂團相異甚遠的職業呢(笑)。

武市:もはやなんでなりたいと思ったのかも覚えてないんですけど、小学生のときにはもう「パティシエになるんだ」と思ってましたね。でも、よくある話ですけど、高校の文化祭で先輩がバンドやってるのを見て、「音楽やったらモテるんじゃないか?」と思ってバンドを始めたんです。ただ、最初はそんなノリだったんですけど、その頃に見たASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)の武道館のライブDVDが衝撃だったんですよね。 それまで大きなライブに行ったこともなかったから、「こういう世界があるんだ」と衝撃を受けて。人の作ったものがこんなに多くの人に受け入れられている、その空間がすごいなと思ったんです。それで、最初はアジカンとかBUMP OF CHICKEN(以下、バンプ)みたいな王道のJ-ROCKのコピーから始めて、高3のときには将来も音楽をやっていきたいと思うようになりました。
雖然已經不太記得為何想成為甜點師、在小學生時期已經想著「要成為甜點師」。不過、雖然是老生常談、在高中文化祭看到前輩們的樂團表演、思考「是不是玩音樂就會受歡迎啊?」而開始的。只是、一開始雖然是因為這個原因、在當時看到亞細亞功夫世代(以下、簡稱亞細功)的武道館演唱會DVD非常衝擊。因為當時還沒去過大型演唱會、受到「也有這樣的世界哪」的衝擊。人所創作的事情讓這麼多人接受、認為那樣的空間非常了不起。於是、最開始模仿像是亞細功與BUMP OF CHICKEN(以下、簡稱為BUMP)那樣王道的日本搖滾、高3的時候開始想著將來也想做音樂。

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じゃあ、高校を卒業して本格的にバンド活動を開始したんですか?
那、是在高中畢業之後正式開始樂團活動的嗎?

武市:いや、とはいえ親には昔から「パティシエになる」って言ってたんで、1年だけ調理専門学校に行って、一回就職もしてるんです。ただ、そのときも音楽は続けようと思っていて、本格的な洋菓子店だと音楽活動ができないから、工場勤務を選んだんですよ。でも、いざ働き始めるとなかなか時間が作れなくて、結局その年の秋にはやめちゃって。そこからですね、腹括って「音楽やるか」と思ったのは。
不、雖然以前就跟雙親說「想當甜點師」、去上了一年的調理専門學校、也去上過一次班。只是、當時也想持續作音樂、但因為正統的蛋糕店無法進行音樂活動、而選擇了工廠業務。不過、一但開始工作就常常抽不出時間、結果那年的秋天就把工作辭掉。從那時候開始、有了「要做音樂」的覺悟。




▌日本のJ-ROCKシーンって、ずっとギターロックが突っ走ってるイメージで、それがつまんないなと思っちゃったんです。
▌日本的J-ROCK風景、一直給人吉他搖滾暴走的感覺、我覺得那樣很沒意思。

音楽性に関しても、その頃から徐々に変わってきたわけですか?
─關於音楽性、是從那時開始慢慢改變的嗎?

武市:そうですね。学生時代は邦楽しか聴いてなくて、しかも王道のバンドばっかり聴いてたから、自分の作る音楽も全部アジカンみたいだったんです。ライブを観に行って、「バンプと一緒じゃん」みたいなバンドは嫌だなって思ってたのに、自分がそうなっちゃってることに気づいて、洋楽に目覚めました。
是呢。學生時代只聽日本音樂、而且幾乎都是聽流行樂團、自己製作的音樂也全都像是亞細功。去看演唱會時、「跟BUMP一樣嘛」覺得不喜歡相似的樂團、發現自己也開始變得一樣、而開始聽起外國音樂。

入り口はCOLDPLAYで、それまでバンドといったら「ボーカル、ギター、ベース、ドラム」というイメージだったから、ボーカルのクリス・マーティンがアコギもエレキも鍵盤も弾いていたり、ドラムのウィル・チャンピオンがティンパニを叩いたりしているのが、すごくカルチャーショックだったんです。「自分で音楽の幅を狭めちゃってたんだな」と思って、そこからは逆に「洋楽しか聴かない」くらいの感じになりましたね。
一開始是酷玩樂團、因為一直以來提到樂團就給人「主唱、吉他、貝斯、鼓」的印象、所以當主唱的克里斯·馬汀彈著空心吉他與鍵盤、鼓手的威爾·查恩打著定音鼓、受到相當的文化衝擊。想著「自己對音樂的視野太狹窄了哪」、從那時起反而「只聽外國音樂」。

少し硬く言えば、よりオリジナリティーの高いもの、他にはないものを作ろうと思うようになったとも言えそうですね。
若要講得更明確一點、比原創更高一層、也可以說是想做出別人所沒有的東西呢。

武市:日本のJ-ROCKシーンって、ずっとギターロックが突っ走ってるイメージで、それがつまんないなと思っちゃったんです。今の若い子たちは洋楽離れが進んでるっていうけど、それもすごくつまらないなと思うんですよね。
日本的日本搖滾風景、一直給人吉他搖滾暴走的感覺、我覺得那樣很沒意思。現在的年輕人雖然朝著與外國音樂不同的路線前進、我覺得那樣也很沒意思。

「自分たちにしかできないことをやりたい」というのは前からずっと思っていたことで。たとえば、僕らが解散したとして、取って代わるバンドがいっぱいいたらすごく残念。だから、「この人らじゃないとできない」というものであるために、いろんな部分で他との差異をつけていきたいとはずっと思ってました。
從以前就一直這樣想著「想作只有自己能夠做的事情」。比如說、某天我們解散了、若是有許多能夠取代我們的樂團就很可惜。所以、為了達到「若不是這些人就做不出來」、一直想在許多地方作出與其他人不同的差異性。

 他と差異をつけるため、そしてつまらないと思うシーンを変えるため、mol-74がこだわっていることとは? 
 為了作出與其他人不同的差異、以及為了改變貌似無聊的風景、mol-74所執著的事情是? 

音楽の「無意識的記憶装置」みたいな部分に、すごくロマンがあると思う。
▌音樂裡像是「無意識的記憶装置」的部分、我認為非常浪漫

mol-74の他にはない特徴というと、まずは武市くんのファルセットを生かしたボーカルが挙げられると思います。今のスタイルはいつ頃からなのでしょうか?
─說起mol-74的特徵、我認為首推是武市以假音而活躍的主唱。現在的風格是在何時形成的呢?

武市:僕らが一番最初に全国流通した『越冬のマーチ』(2015年)の中に入っている“赤い頬”を、スタジオでセッションしながら作っているときに、どんどん自分の中から「風景」が出てきたんです。その感覚は今でも覚えています。そのとき、特に意識することなくファルセットで歌ったんですよね。もちろん、SIGUR ROSとかMEWとかが好きだったから影響は受けてると思うけど、「ああいう曲を作りたい」と思ったわけではなくて、勝手にイメージが出てきて、それに合うのが高い音域のメロディーだったという感覚なんです。
我們首張在全國販售的『過冬的進行曲』(2015年)之中所收錄的歌曲“緋紅臉頰”、在錄音室裡邊討論邊製作時、漸漸浮現自己內心的「風景」。現在也還記得那份感覺。當時、並沒有特別意識到自己以假音歌唱。當然、有受到喜歡SIGUR ROS與MEW的影響、並非想著「想做出那樣的曲子」、擅自產生印象、而是感覺(那首歌)適合高音域的旋律。

なるほど。まず風景があって、それに合うのがファルセットだったと。
─原來如此。先是有了風景、才有了適合風景的假音。

武市:ただ、それまでにやったことがない歌い方だったから、レコーディングしたのを聴いても、最初は「これ大丈夫かな?」って感じでした。気に入ってはいたので、ミュージックビデオを作りたいとも思ったんですけど、とはいえ今までと全然違うから不安はあって。 でも、いざミュージックビデオを発表したら、すごく広がって、いろんな人が「いい」って言ってくれたし、海外の人からのコメントも来るようになったんですよね。それで「このスタイルでいいんだ」と思えて、自分で咀嚼していった結果、ファルセットの曲が増えていきました。
只是、因為是至今未曾嘗試過的唱歌方法、即使在錄音之後聆聽、一開始會覺得「這樣沒問題嗎?」。但因為還蠻喜歡、雖然也想製作成音樂影像、卻有著前所未有的不安。不過、只要發表了音樂影像、就會廣為流傳、被許多人說「好」、似乎也有外國來的評論。於是想著「這個風格可行」、自我消化之後的結果、開始增加假音的曲子。

映像的な曲の作り方というのも、mol-74の特徴と言えそうですね。
映像般的歌曲作法、可以說是mol-74的特徵呢。

武市:そこはバンドとしてすごく大事にしていて。基本的には僕がアコギの弾き語りを持って行って、それをメンバーで広げていくんですけど、弾き語りの時点で自分の中にはイメージがあるんです。季節、時間、温度、場所とか、いろいろなイメージがあって、それをメンバーと話したときに、僕のイメージと受け取られ方がかけ離れてたらその曲はボツになる。たとえば、僕が「冬の朝」をイメージしていて、他のメンバーに「夏の夜」って言われたら、その時点でナシ。だから、ボツ曲がすごく多いんですよ。“赤い頬”のときはみんなのケミストリーがすごくて、ホントに共有できてる感じがあったんです。
那對樂團來說是很重要的事。基本上主要是我用空心吉他的自彈自唱、再由成員發揮、而在自彈自唱的當下心中已經有影像出現。季節、時間、溫度、地點之類、有著許許多多的影像、在跟成員提到這件事時、若是與我的影像有相當的落差的話那首歌就會被捨棄。比方說、我想像著「冬天的早晨」、其他成員卻說是「夏天的夜晚」時、在那當下就失敗了。所以、被捨棄的曲子非常多。“緋紅臉頰”的時候大家的化學作用很大、真的達到共有的感覺。

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─もともと映画とかがお好きなんですか?
─原本就喜歡電影嗎?

武市:いや、それがそれほどでもなくて。でも、二十歳の夏によく聴いてた曲とかって、今聴いたらそのときの風景が出てきません?
不、也沒有那麼喜歡。不過、若在二十歳的夏天有常聽的曲子、現在再拿來聽就會浮現當時的風景?

─わかります、音楽と記憶は密接につながってますからね。
─我懂、音樂與記憶有著深刻的聯結呢。

武市:そうなんですよ。音楽のそういう「無意識的記憶装置」みたいな部分に、すごくロマンがあると思っていて。何年後かに聴き直したら、そのときのことを思い出すって、すごく素晴らしいなと思うんです。だから風景が浮かばない曲は、聴くのもあんまり好きじゃないんですよね。それこそSIGUR ROSなんて、歌詞の意味もわからないのに、あの感じは伝わるじゃないですか?
就是這樣呀。音樂裡像是「無意識的記憶装置」的部分、我認為非常浪漫。在多年後重聽、回憶起當時的事情、我覺得非常棒。所以無法浮現出風景的曲子、我不太喜歡聽呢。正如SIGUR ROS那樣、即便不懂歌詞的意思、仍能傳達那份感覺?

─アイスランドの風景が浮かびますよね。
─會浮現冰島的風景呢。

武市:“*untitled #1 (vaka)”という、いろんな映画にも使われてる曲があるんですけど、あれなんてホントすごいんですよ。“*untitled #1 (vaka)”は、曲にマッチした心境とか風景の中で聴くと、自分が主人公になれるような感覚があって、僕はそれがすごく好きなんです。なので、自分もそういう曲を作りたいし、感情に寄り添いたい。
像是“*無題 #1 (vaka)”、是被許多電影採用的歌曲、那真的非常棒哪。“*無題 #1 (vaka)”、若在合乎曲子的心境與風景之中聆聽、有種自己成了主角般的感覺、我非常喜歡。所以、自己也想製作那樣的曲子、想把感情寄付其中。

─ちなみに、北欧とか、寒い地方の音楽に惹かれるのは何か理由があると思いますか?
─說到這、像是北歐、寒冷地區的音樂吸引你的原因是什麼呢?

武市:なんででしょうね……やっぱり自分が主人公になれるかどうか、生活を彩ってくれるかがポイントだとは思うんですけど、一人で浸れる曲が好きなんだと思います。夏の曲って、「みんなで聴く」という感じがするんですよね。だから、夏の曲でも僕が好きなのは久石譲の“Summer”とか、ああいうしんみりした曲なんです。僕がアジカンを好きな理由もそこだったりして、彼らの曲にもすごく叙情性があって、そこが琴線に触れたのも大きいですね。
是什麼呢……果然還是自己能夠成為主角、讓生活散發光彩是重點吧、喜歡能夠一個人沉浸其中的曲子。像是夏天的歌曲、會給人「大家一起聽」的感覺呢。所以、我喜歡的夏天曲子像是久石讓的“夏天”、像那樣安穩沉靜的歌曲。我之所以喜歡亞細功也是基於同樣的理由、他們的曲子非常有抒情性、引起相當大的共鳴。



▌「変わらずに変わる」って難しいじゃないですか? でも今回は、それを前向きにやってみようと思ったんです。
▌「不變之變」不是很困難嗎? 不過這次、積極的試著嘗試看看。

─前作『まるで幻の月をみていたような』は、現在の所属レーベルである「Ladder Records」からの最初のリリースだったわけですが、今振り返るとどんな位置付けの作品だったと言えますか?
─上一個作品『宛如看見幻月一樣』、並非以現在所屬的品牌「階梯唱片」最開始發行、現在回過頭看的話會把這個作品放在什麼樣的位置呢?

武市:ちょっと葛藤があったというか……僕は結構固い人間で、変化を恐れるところがあるんです。自分はまだ何かを成し遂げたわけでもないんですけど、海外のバンドとかでたまにある、「ファーストめっちゃいいのに、セカンドどうした?」みたいな、あの感覚がすごく嫌で。
與其說是有點揪葛……我是還蠻拘謹的人、有點害怕變化。雖然自己還沒能具體完成什麼、但外國的樂團偶爾會讓我有種、「第一首歌非常棒、但第二首歌怎麼了?」的感覺、非常討厭那樣的感覺。

でも、お客さんを飽きさせないためにも、ときには変わることも必要だから、「どうしよう?」と悩んでいた時期だったと思います。もちろん、アルバムとしてのコンセプトははっきりあったので、いい作品にはなったと思うんですけど、サウンドとか歌詞に関してはちょっと迷いがあったかな。
不過、為了不讓客人覺得厭倦、有時做些改變也是必要的、「該如何是好?」如此煩惱的時期。當然、做為專輯的概念來說還蠻明確、雖然覺得成為了好作品、但關於聲音或歌詞有點迷惘。

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─今回の『kanki』に関しては、変化に踏み切った作品だと言えるのかなって。
─關於這次的『kanki』、可以稱之為下定決心做出變化的作品。

武市:はい、前作を作って気づいたことがたくさんあったので、今回はもっといろんなことをしてみようと思って。サウンドに関してもそうだし、歌詞も、これまでは自分に向けて書いていたのをもっと外向きに、人に向けて書くようになりました。「ただ変わる」って簡単だと思うんですけど、「変わらずに変わる」って難しいじゃないですか? でも今回は、それを前向きにやってみようと思ったんです。
恩、在製作上一個作品時發現很多事情、希望這次能夠嘗試更多的事情。聲音也是如此、歌詞也是、目前為止都以自己的觀點出發但希望能更加對外、以人為主來寫。雖然單純想著「只是改變」、「不變之變」不是很難的事嗎? 可是這次、希望能試著更加積極的做看看。

─ちゃんと自分たちの色はキープした上で、新しいことにもチャレンジするってことですよね。そう思えたのは何かきっかけがあったんですか?
─在完整保留自我的顏色的基礎之上、去挑戰新事物呢。會這樣想是有什麼樣的契機嗎?

武市:ライブをやってて感じたことは大きいです。今までは自分に向けて曲を書いて、それに対してお客さんはお金を払って観に来てくれてたわけですけど、「それだけじゃダメだな」って思い始めたんですよね。「みんなのために」って言うと大げさですけど、外向きにならないといけないときが来たのかなって。
在舉辦演唱會時有相當大的感受。一直以來以自我觀點寫著曲子、雖然有為此而付錢前來觀看的客人、卻開始覺得「只有這樣是不行的」。雖然說「為了大家」有種小題大作的感覺、但不對外是不行的時候到了吧。

 自分が変わることで、ファストフード化する音楽シーンを変えたい / 「可能性」さえも「検索」で諦めてしまう人たちに伝えたいこと 
 自己所能改變的、是改變速食化的音樂風景 / 想傳達給放棄「可能性」甚或者「検索」的人 

「自分らがよけりゃ、それでいい」じゃなくて、シーン全体のことを考える必要があると思ってます。
▌並非「自己能夠接受、那樣就好」、考量整體風景是必要的。

─今作のリード曲になっている“%”は明確な変化を感じさせる曲ですね。こういうアッパーなサビっていうのは、これまでの曲にはなかったもので。
─本次的主打歌“百分比”是讓人感受到明確變化的曲子呢。像這樣高昂的副歌、是至今為止的曲子中所沒有過的。

武市:この曲は、サビを作っているとき、バンドをやり始めた頃の感覚に戻った気がしたんです。それこそアジカンが好きだった頃の感覚というか。「全部一周して、結局自分はここなんだな」って感じたんですよね。ただ、やっぱり今までと作風がまたガラッと変わっちゃうから、最初は「どうしよう?」と思って。
這首曲子、在製作副歌時、有種回到剛開始做樂團時的感覺。該說那正是喜歡亞細功時的感覺。有種「繞完全部一圈、結果自己在這哪」的感覺。只是、因為與至今為止的作風完全不同、一開始會想著「該如何是好?」。

─変化が苦手な武市くんからすれば、そうなりますよね。
─讓不擅長變化的武市來製作的話、就會變成那樣呢。

武市
:それで、とりあえずマネージャーに聴かせたら、「SIGUR ROSとアジカンを足して2で割ったような曲だね」って言われたんですよ(笑)。でも、それって僕らにとっては一番の褒め言葉なんじゃないかと思って。初めてライブでやるときはめっちゃ怖かったんですけど、お客さんにすごく受け入れてもらえて、変わることに対するストッパーみたいなのが壊れました。自分の作った曲に、自分の概念を崩されちゃったんです。
因此、總之先讓經紀人聽看看之後、被說成是「SIGUR ROS加上亞細功除以二的曲子呢」(笑)。不過、那對我們而言是最棒的稱讚也說不一定。第一次在演唱會上演出時非常恐懼呢、得到聽眾相當大的認同、針對改變事物的停止裝置毀壞了。對於自己所製作的曲子、自我的概念已經崩壞。

もともと次の作品は明るい作品にしたいというのも思ってたし、今まで鍵盤の曲は遅い曲が多かったけど、“エイプリル”はこれまでになくテンポが速かったり、そういうことをどんどんやれるようになりましたね。
原本想把下一個作品做成開朗的作品、雖然至今有鍵盤的歌曲多為慢歌、“四月”是目前為止所沒有的快節奏、開始慢慢地去做這樣的改變。

─自然に生まれた“%”が、結果的には変化のきっかけになった。“赤い頬”のときと同じパターンだったと言えそうですね。
─自然孕育出的“百分比”、就結果而言成了變化的契機。可以說跟“緋紅臉頰”是同樣的模式呢。

武市
:“%”のサビの<パッとしないこの世界を変えよう>という部分は、歌詞とメロディーが一緒にパッと降りてきたんです。これを外に向けて歌うのであれば、「自分が変わらないでどうする」とも思ったんですよね。そうじゃないと、説得力がないなって。
百分比”的副歌<改變這個毫無亮點的世界吧>的部分、歌詞與旋律突然一同降臨。若是把這句話唱出來的話、也會思考「自己不改變怎麼行」。如果不這樣想的話、會沒有說服力。

あとはライブキッズたちにも知ってもらえるような曲にしたいと思ったので、それもできたんじゃないかと思います。手を挙げたり、踊ったりしたい子にとっては、静かで世界観があるタイプの曲ってちょっと抵抗があると思うんですよね。それが洋楽離れの要因にも繋がっていると思っていて。その間口をどうやったら広げられるんだろうっていうのはすごく考えています。
還有就是希望能夠成為演唱會常客們所知道的曲子、並思考著能否做到這點。對於把雙手高舉、想跳舞的人來說、會有點抵抗擁有安靜世界觀類型的曲子呢。這也是與外國音樂有距離的原因之一。也認真地思考要怎麼去擴展範圍。

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─確かに、今ってフェスで騒いだりするのが好きな邦楽のリスナーと、海外の音楽が好きなリスナーって、ちょっと分断されているように思います。でも、そういう状況があるからこそ、そこを何とか繋ごうとする20代半ばのバンドも少しずつ出てきていると思うんです。
─的確、現在喜歡在音樂祭嚷嚷的日本音樂聽眾、與喜歡外國音樂的聽眾、有點想做出區隔。不過、正因為有這樣的狀況、總算是與20代後半的樂團多少有了連結之處。

武市:僕もそんな気がしています。仲のいい雨のパレードとかLILI LIMITとかも、海外から得たものを自分たちなりに昇華していて、すごく刺激をもらっていますね。今って「一部の音楽しか聴かない」みたいな感じが強すぎて、窮屈な感じがするんですよ。それはもともと自分も邦楽しか聴いてなかったからこそわかることでもあって、でももっと素晴らしい音楽っていっぱいあるから、それを知ってほしい。だから、「自分らがよけりゃ、それでいい」じゃなくて、シーン全体のことを考える必要があると思ってます。
我也有那樣的感覺。私交良好的雨的遊行或LILI LIMIT等、將從國外得到的東西以自己的方式昇華、得到相當大的刺激呢。現在「只聽一部分的音樂」的感覺相當強烈、有種被侷限的感覺。這也是因為自己原本只聽日本音樂才會了解的事、但是正因為有許多更棒的音樂存在、也想了解更多。所以、並非「自己能夠接受、那樣就好」、考量整體風景是必要的。

▌自分の目で見て確かめる、食べて確かめる、聴いて確かめるということがどんどん薄れていっている。それってすごく可能性を狭めてしまっていると思う。
▌用自己的雙眼確認、吃了之後確認、聽了之後確認這樣的事漸漸式微。那樣會侷限住不少可能性。

─“%”という曲タイトルにはどんな意味があるんですか?
─“百分比”這首歌的標題有什麼意義呢?

武市:ふたつ意味があって、ひとつは「可能性」ということです。最近若いお客さんとかと話すと、「やりたいことがない」とか「どうせできない」とか、自分で決めちゃってる人が多くて、「やってみりゃあいいのに」って思うんですよ。
有兩個意義、一個是「可能性」。最近和年輕的客群聊天時、「沒有想做的事」或「反正做不到」之類、如此自我設限的人很多、會想著「試著做看看又何妨」。

でも、今って何でも調べられちゃうから、やってみる前に調べて、それで冷めちゃうんだと思うんですよね。自分の目で見て確かめる、食べて確かめる、聴いて確かめるということがどんどん薄れていっている。それってすごく可能性を狭めてしまっていると思うから、そういう人たちに聴いてほしいんです。
不過、現在什麼都能夠調查、在嘗試去做之前調查、那樣有點讓人心冷呢。用自己的雙眼確認、吃了之後確認、聽了之後確認的事情會漸漸淡薄吧。那樣會侷限住不少可能性、希望能讓那樣的人聽見。

もうひとつはちょっと戦略的な話なんですけど、SNSのタイムラインに“%”って曲名が流れてくると、どんな曲なのか気になると思うので、そういうフック的な意味合いもあります。
還有一件事是比較戰略性的話題、SNS的標題以“百分比”這樣的曲名流傳著、會讓人好奇是怎麼樣的曲子、有著魚鉤般的意義在裡面。

─基本的に、ダブルミーニング好きですよね。『越冬のマーチ』にしても、「行進」と「3月」のふたつの意味があったし、それこそ今回の『kanki』に関しては、ふたつどころじゃなくて、「歓喜」「喚起」「寒気」「換気」みたいに、すごくたくさん意味がある。
─基本上、喜歡雙關意義呢。無論是『過冬的進行曲』、「行進」與「3月」都有兩個意義、關於這次的『kanki』、不只有兩個意思、像是「歡喜」「喚起」「寒氣」「換氣」、有著非常多的意義。

武市:自分たちの中では「これ」っていうイメージがあるんですけど、聴く人には自由に感じてほしいんです。もちろん、自分たちと同じイメージを共有できたら嬉しいんですけど、そこまで強制したくはないとも思っていて。
在我們內心有著「這個」的印象存在、希望讓聽的人可以自由感受。當然、若是能跟我們有同樣的印象會很開心、但不想特別去強迫。

─それこそ、意味をひとつに限定しちゃうのって、ちょっと窮屈ですもんね。
─正因如此、若限定為單一個意義的話、會有被拘束的感覺。

武市:そうですよね。今って音楽がファストフード化してるとも思うんですよ。特にJ-ROCKのシーンって、安直な音楽が多くて、それが受けたとしても、消費の速さを思うと悲しくなってくるんです。自分たちはその方法は使わずに、でもそこの層にもちゃんと届けたい。“%”はそこもすごく意識しました。
是呢。現在的音樂有速食化的傾向。特別是日本搖滾的風景、不費力的音樂很多、即使接受了、想到消費的速度就會悲從中來。我們不使用那樣的方法、但是也想確實的傳達到那個層面。“百分比”也在這方面有相當的意識存在。

─「僕たちはJ-ROCKとか関係ない」って言っちゃうのはある意味簡単で、その中間に立って繋ごうとするのはすごく大変だけど、でもそこが重要で。
─要說「我們與日本搖滾沒有關係」在某種意義上頗為單純、雖然在那之中所維繫的事物非常困難、卻也是重要之處。

武市
:振り切っちゃうのは簡単で楽だと思うけど、それこそ5年前に腹を括って、音楽で食っていくって言ったからには、そこから逃げちゃうのは矛盾してるというか。やっぱり今って「*自分自分」の世の中で、TwitterとかInstagramが流行っているのは、みんな自分に気づいてほしいからだと思うから、「人のやりたい音楽なんて知らねえよ」って言われる時代だとは思うんです。みんな自分の興味があることしか興味がないし、でもその消費の速度はすごく速いから、難しい時代だとは思う。だからこそ、ちゃんと考えていきたいなって。
雖然說放棄既簡單又輕鬆、但對於從五年前下定決心、說要以音樂為生而言、若是從那逃開就會有種矛盾感。果然在現今「*強調自我」的世道裡、Twitter或Instagram之所以流行、是希望大家能注意到自己、可以說是「不清楚別人想做的音樂」的時代。大家只對自己有興趣的事物感興趣、但是那樣消費的速度非常快速、我覺得是困難的時代。正因為如此、想好好思考。

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─簡単には消費されない、長く聴けるものを作っていきたいと。
─只有簡單的話無法讓人買單、想製作能讓人長久聆聽的音樂。

武市:そうですね。普遍的だけど新しいみたいな。難しいと思うけど、そういうことを追求するのは好きなんです。
是呢。像是普遍卻又嶄新的感覺。雖然有點難、但喜歡追求那樣的事物。

─パティシエの道を蹴って音楽に来た分、音楽で「美味しい」と言ってもらわないとね(笑)。
─捨棄甜點師之路而踏上音樂的部分、不得不讓人想用「美味」來形容音樂呢(笑)。

武市
:あ、最近気づいたんですけど、ひとつのものをいっぱい作るのは苦手なんですよ。シュークリームを何百個作るとかだと、雑になっちゃって、「一個ぐらい手抜いてもいいだろ」ってなっちゃう。小学生の頃とかにケーキを作るときって、一個だけ作るわけじゃないですか? だからお菓子作りがすごく好きだったんです。それと同じで、音楽は大量生産じゃなくて1曲に集中できるからいいんですよ。
啊、最近發現、我不太擅長大量製作一個東西。像是在做了幾百個泡芙之後、就會變得很粗略、會變成「只有一個偷工減料也沒差吧」。小學生時在製作蛋糕時、不是只做一個嗎? 所以非常喜歡做甜點。與之相同、集中製作一首歌會比大量生產的音樂好。

─パティシエってシュークリームを何百個作る人ではなくて、芸術品みたいなお菓子を作る人なわけだから、今も根本は変わってないのかも。
─並非製作幾百個泡芙的甜點師、而是製作如同藝術品般甜點的人、如今就根本上來看是一樣的也說不一定。

武市
:ホントに、そこは一緒なんですよね(笑)。
確實、那部分是一樣的呢(笑)。

原文出處:https://www.cinra.net/interview/201608-mol74


────────  備註  ──────── 
*3ピースバンド
正しくは「人数」ではなく「楽器」の数。
例えばギター、ベース、ドラム、ボーカルの四人でも3ピースバンドという事になります。
でも最近は雑誌とかでも三人のバンドを3ピースと言うようになっているようです。ホントは間違いなのですが、間違いが正しくなってきているようですね。
參考資料:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1334311853


*君という花


*untitled #1 (vaka)



──────── Murmur ────────  
終...終於翻完了(腦漿乾涸

不過透過此篇訪談開始了解mol-74的音樂為何能夠如此沁入心脾
越來越喜歡他們啦//////////

也好想吃武市做的甜點啊(欸
 

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